どれを採っても、どれも合っている


Tシャツについているタグ。


自分が、普段からTシャツについて考えていることが多いという、それもありつつ、直に肌に触れるということもあって、気になりだすととまらない、それがTシャツのタグというものです。


Tシャツのタグ、上着やシャツにも同じようについていることがありますが、ここではわかりやすく、Tシャツの場合で話を進めていきます。


時々、背中の首筋側にあるだけでなく、左わき腹の、どちらかというと裾の方に近い位置についているものがあります。


たとえ裾の方についていても、タグ自体、薄いものであるとか、短めになるように折り返してついていると、あまり気になりません。


これは、海外のものが多いと思いますが、各国の言語で洗濯の仕方や取り扱い方が載っていて、それゆえにやたら長いとか、4〜5枚もあるようなものもあるわけです。


また、本体の生地が薄いのにも関わらず、タグの方が地厚だとか、固いようであると、うーむ、これは一体何のためにあるのかと、つい意識の多くを向けて、やたらと気になってしまいます。


いずれにしても、こういう気になるものが左わき腹側にあると、着る時には毎回欠かさず気になりますし、また、何度も着ているうちに妙な"ねじれ"が出てきたり、不規則に折り目がついたりして、どうにも収まりが良くないなと思うものです。


いっそのこと、根こそぎ"はさみ"で切ってしまおうか、いや、それはもったいないと逡巡して、その逡巡していること自体を繰り返すことになります。


切るかどうかの発想以前に、何も手を加えないのが良いように思いますし、いずれリサイクルに回すことも思えば、できるだけキレイに着ようともなるので、タグはそのままつけたままにしておくのが最善のように(一旦は)思います。



川上未映子さんの、読者も主人公同様、不思議な出来事の世界に入っていく、主人公が水先案内人として巻き込まれているからという指摘に対して、


村上春樹さんの、自身の小説は「巻き込まれ型」である、よくそう言われるという反応を経て、次のように続いていく箇所があります。


村上 主人公はとてもニュートラルな存在であるのに、いやニュートラルな存在だからこそ、どんどん物語の引力に引っ張られて、いろんなところでいろんな得意な、不思議な体験をします。(p.145;『みみずくは黄昏に飛びたつ 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』川上未映子、村上春樹/新潮社)


なるほど、「主人公(語り手)が基本的に真っ当な人である」こと、「そこが大事なことだと僕は思う」(カギカッコ内、ともにp.145;同上)ということであるために、我々読者も不思議な出来事の世界に入ることができるというわけです。



前に進むためには、いつも重心を前に傾けていなければいけませんが、立ち止まったところ=ニュートラルなところから、前後左右の、どの方向にも即座に動けるようであるには、重心は均等に、かつ、真ん中に置いておく必要があります。


それは、地図を片手に、目指す目的地に向かっているというよりかは、今は立ち止まりながら地図を広げ、どこに向かおうか思案している状況に似ているかもしれません。


それゆえ、今すぐどこかに行かなくてはいけないわけではなく、いつでも、どこにでも行けることを暗示しているとも言えそうです。



"はさみ"、あるいは"じゃんけん"に話を持っていけば、"はさみ"の"チョキ"の強さは相対的なもので、3手あるうちのひとつ。


勝つも負けるも、他に何が出ているかによって変わりますが、それぞれのキャラクターや持ち味も三者三様。


また、拳をグーにして、強く握っていると、今のものを把持しているということで、それ以上新しいものは入ってこない、だから、パーにして手のひらを開くと良いという言い回しがあります。


そこで、グーにした手をパーにすることで、今まであったものを手放すことになりますが、その代わりになる以上の、もっと良いものを手にすることがある、そのようにも言えるでしょう。


これは、物理的なことだけでなく、気持ちにおいてもそういうことかもしれず、頑に強張っているよりかは、より柔軟に、広く開放的な方が良いということかもしれません。



果たして、"チョキ=はさみ"の強みとは。


あるいは、Tシャツのタグを"はさみ"で切るのか/切らないのか、切れば確かにスッキリするのかもしれないけれど、それは切ってしまわないとわからないことでもある。


つまり、いつ切っても良いし、いつまでも切らなくて良い、その判断は、私自身に委ねられているということ。


そのような、委ねられている自由があるために、私は広い気持ちを持つことが許されていて、そのことに私はひどく安堵する。


「はさみ」黒木渚


私は、"はさみ"を片手に、この優しき世界を切り開いていく。


どの道を選んでも正解であるというのは、どの道を選んでも正解にするということ。


中空に"はさみ"をかかげ、何度かチョキチョキと開閉したのち、心を新たにする。

そっと誓いながら。


<参考>



傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所#五星三心占い#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪

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