はかどる妄想
外を歩いている時、風呂に入っている時、寝る前のほんの少しの時。
たとえば、私自身、自分ひとりでネクタイを締めることができるのに、「もう、わたしがいないと、ソバジマはネクタイもちゃんと締められないんだから」と、手ずからやってしまうような女性は、一体どこに行けば出会えるのでしょうか。
また、私は、私ひとりで過ごすことに何の労苦もないわけですが、電話やLINE、メールなどで「もう、わたしがいないと、ソバジマはすぐ寂しくなると思ってさ。それで、今は何しているの?」と連絡してくるような女性は、一体どこで(以下同文)。
ある意味、「おせっかい」とか「世話焼き」ということになって、ある人にとっては面倒に思うかもしれませんが、放っておくとすぐに"ひとり"になりたがるクセを持つ私にとっては、いつも気にかけてもらえるとか、こちらの領域にグイグイ踏み込んでこられるのは、かえって小気味好く感じるものです。
もちろん最低限の礼儀・マナーも必要ですし、それをやっても好ましく思うことのできる個人の性格・キャラクターによるところもあるでしょう。
ただ、そういう言動のひとつひとつが、相手を気遣うとか、心配するということからというよりかは、あくまで自分の好きなように言ったり、行動したりしていることが、そのまま直結して「相手のために"とても"なっている」というのがミソだなと思います。
いわゆるジグソーパズルのピースがピタリと当てはまるような話のことですが、その実際は、もっと形状が独特であるのにも関わらず、まるでただひとりの相手のためにあると思ってしまうほどの、しかも、お互いにそうであるようなものだとしたら、それは嬉しさのあまりいつも踊り出してしまいそうなことです。
そう易々と、そう簡単には出会えないかもしれませんが、あなたにとって、私にとってほとんど唯一無二となる存在が、世界のどこかにきっといるような気がしますし、必ずやどこかにいてほしいと思います。
ちなみに、私は、ここにいます。
妄想は著しくはかどるものだから、これくらいロマンティックに展開するくらいでちょうど良いのかもしれません。
もう少し具体的に考えていくと、単純に積極的な、強気な女性というものでもないし、どう表すのが良いのかわからないけれど、「天衣無縫」とか「天真爛漫」という言葉が似合う女性。
ちなみに、私のことを気遣うことに四六時中執心しているということでもなく、「わたし、ちょっと海外旅行に行きたいからさ、明日から休暇を取ることにしたよ〜」とひとりでさっさと旅立ってしまうような気まぐれさ。
まるで思いつきのように、ひとりでどこかに行ってしまうのも、こちらとしては「まいったな」とひとりごちてはみるものの、まことに愛すべき存在だとすぐに海容してしまうわけです。
こういう関係においては、私としてはグイグイ来られることで、ものぐささが払拭され、大いに感化されるわけですし、彼女は彼女で、いろいろ相手の領域に踏み込んで世話を焼くことで、気づくことの多く、アイディアの閃きも多くあるかもしれません。
自分自身は、考えを深めることがわりと好きなのですが、彼女から刺激を受けることで、視野が広がることもあるでしょうし、彼女は私のじっくり考える様子を見て、より物事をじっくりと観察するようになっていくこともあるでしょう。。
ここでもまた、極めて自然なまま、お互いの得意がお互いの不足を補い合うような、完璧なコンビネーションが発揮されているわけです。
こういう理想を携えながら現実的にたとえてみると、どういう人がそれにあてはまるのでしょうか。
これは、特に焦ることなく、じっくりと考えてみようとも思いますが、もしも現実的に思い描くほどに「え、これってわたしのことかな?」と思い至る人がいたら、それはそれで「ユー・アー・ソー・ハッピー!」です。
ひとつのイメージとして、近いのは1988年7月22日生まれ、本日お誕生日!の吉高由里子さん。
お誕生日、まことにおめでとうございます!!
— 吉高由里子 (@ystk_yrk) July 22, 2020
出会い頭に、「おっす、ソバジマ」みたいに屈託なく言われてしまえば、こちらも「おー、吉高」みたいに気兼ねなく言えることでしょう(注:敬称略)。
目がパッチリしているとか、スタイルが良いとか、造形的な見目麗しさもあるかもしれませんが、私個人の、本能的に好きなタイプのひとつに"奥二重"もあるもので、これはぜひともアンダーラインを引いておいてほしいなと思います。
ここまで、いろいろあてはまりそうな内面や外見の特徴を並べてはいますが、そういう"気の合う"人とは、何かのキッカケで知り合うにしても、最初に目を合わせた時に、お互いに「あなた、私と知り合うべき人ですよね?」みたいなやり取りが、しばし視線を交わすうちに自ずと起こりそうです。
言葉で表すのも追いつかないほどに、予感を感じるとか、そうとしか思えないとか、理屈や理論を越えたところにあるものであり、もっと本能的な感情の動きによるものであるような気がします。
たとえ、初対面のうちにそうならないとしても、何度か顔を合わせたり、言葉を交わしたりしているうちに、相手がどういう人なのか少しずつわかってくるでしょう。
こういう場合、英語で言う方が違いが明確になるのですが、「LOVE:愛している」というところまではすぐには至らないもの。
それでも、何かしら「LIKE:好き、好意的に思っている」のようであれば、できるだけ早く伝える方が良いように思います。
少なくとも、どちらかから好意を向けられたならそれは感じるもので、早い段階で、何かしらの興味や関心を寄せると良いということです。
何が起こるかわからない今においては、また、すれ違い、通り過ぎることの多い世の中においては、より一層強く思うものです。
たとえ、今回のようなお互いの完璧な相補的な関係でなくても、その成り立ちにはいくつものパターンがありそうですから、合わせるのではなく合ってしまう、それこそ"気の合う"とか"良い相性"としか言えない関係を結ぶことがあるはずです。
「ビビッとくる!」とはかつてよく用いられた表現ですが、何も語らずともわかり合ってしまうような、「私にはこの人しかいないんだ」とお互いに思う情景を、今後ともたくましく思い描いていきたいものです。
まとめ
人それぞれに固有の人生を生きるように、人それぞれに見える世界があるもので、私と誰かが、いつもまったく同じように同じ景色を見ることはかないません。
映画『パラサイト 半地下の家族』で第92回アカデミー賞監督賞を受賞したポン・ジュノ監督のスピーチで、次のような一節がありました。
「自分が映画の勉強をしているた時、本で読んだ言葉で今も大切にしているものがあります。"最も個人的なことが、最もクリエイティブだ"という言葉です。誰の言葉かというと、偉大なマーティン・スコセッシ監督の言葉です」
いくつか調べてみると、多少の言い回しの差異はあるようですが、ここで大切なのは"最も個人的なことが、最もクリエイティブだ"という箇所です。
いわば、極めて個人的な考えや思いをより深く掘り下げていくことによって、ひとりひとりの胸に深く刻まれるとか、大勢の人に広く共感を覚えてもらうようなことがあるように思います。
クリエイティブの意味合いが、何かをたくましく想像し、また、何かを創造するようなことに集約されるのであれば、それはひとつのドラマたり得るのではないかということです。
個人的に強く思うことが、深く共感したひとりひとり=大勢の意思となって、何か大きなコトをなすようであれば嬉しい限りです。
少なからずそれなりの年数を生きてくると、この命の限りは果たしてどこなのか、脳裏を過ぎる機会も多くなってきます。
いろいろなことがありながら、その度ごとに立ち上がる、私の気力はどこから生まれてくるのか、それは、出会うべき人に出会いたいし、会いたい人に会うというのが、シンプルな衝動なのかもしれません。
そうやって、進む先に期待しながら、どうにか前に進む原動力としているとも言えそうです。
これまでに出会った人たちとの再会とか、ここから新たに出会っていく人たちとか、前に進んでいく中で出会いながら、そこでまたはじまるものがあれば良いように思います。
個人的な思いとして、今のところは、旧知の仲だから、ただ懐かしいからだけでは会わないし、とにかく会って話をしましょうということだけでは会うことは極力したくないものです。
もしもそういうことがあるのなら、今に何かしら続いている関係になっているだろう、過去のどこかのタイミングで、自ずと良い関係が築かれているはずだという気がするからです。
しかし、懐かしさをも希望の一部とするのなら、あるいは、出会いからはじまる何かがあるとするのなら、それはそれで生産的なことであるように思います。
その時々で、自分がどう思うのか、このあたりも含めて、やはり巡り合わせの妙=縁というものがあるような気がします。
近年、「間に平均5〜6人を経由すれば、だいたい会いたい人に会えるという"6次の隔たり(Six Degrees of Separation)"」という考えが好きで、会いたい人にやがて会えるというのはなかなかエキサイティングなことと言えるでしょう。
おはようございます(^-^)
— 傍島 康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉 (@sobajimaximum) June 22, 2020
間に平均5〜6人を経由すれば、だいたい会いたい人に会えるという"6次の隔たり(Six Degrees of Separation)"という考え方が良いなと思います。
友だちの友だちが・・・と、その輪が広がるほどに、また愉快なことが多くあるように思います。
今回の基本的なまとめとしては、前述したような吉高由里子さん的な人(あるいは、ご本人)と、ドラマティックに出会いたいということになります。
それに伴って、近年とか最近とか、気持ちがいたってニュートラルの状態にあるだけに、何かしらキッカケをつかむようにして、次第にギアを上げていけたらナイスだなと思います。
そうでなくても、尋常ならざる2020年の今を見渡してみて、何が起こっても不思議ではないために、できれば、良いことの多くが起こるようでありたいものです。
それに多少関連することでは、老若男女問わず、人は人と"つながりたい"というのが、これほどまでに強かったのかと、周囲の様子を見て改めて思う今日この頃です。
実際に顔を合わせて会うことしかり、深く心を通わすようなことしかり、人は人と"つながって"いくことが、生きる喜びの、最も大きなひとつでもあるのでしょう。
それは、私個人においてというだけでなく、これを読んでいる皆さまひとりひとりにとってもそうであるようにと、心から願うばかりです。
<2020年7月30日:追加>
<2020年8月10日:追加>
<2021年1月20日:追加>
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傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所*#五星三心占い*#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪
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