【考察】強さについて:UWF編


はじめに


最近、立て続けによく出版されているということもありましたし、個人的に、今年は例外的に時間の余裕もあったので、何冊か「UWF」に関連する本を続けて読んで、1984年の第一次UWFからはじまる「UWF」というものをにわかに知ることになりました。


私自身は、1993年くらいからテレビ中継でプロレスを見はじめ、それはつまり、日本テレビ系列の全日本プロレス、テレビ朝日系列の新日本プロレスを主に見ていたということです。


また、その後も、基本的にプロレス側から見ていたのもあって、格闘技側の話題もそれとはなしに知りながらも、「UWF」というものがどういうものなのか、あまり詳しくはわかっていませんでした。


リアルタイムでは、1995年10月9日に6万7,000人もの大観衆を集めた東京ドームで行われた「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」、いわゆる「10.9(じゅってんきゅう)、新日vsUインター」が強く印象に残っています。


同時に、リングスやパンクラス、藤原組、バトラーツの記事が週刊プロレスや週刊ゴングの誌面に多く載っていたのですが、それが元を辿っていけばひとつになるとか、そもそもは新日本プロレスから派生したものとは、あまり意識を向けていなかったように思います。


当時は、多団体がひしめきあっていて、それぞれに団体の特色を打ち出して活動していたので、プロレスを知れば知るほどに、多くの団体や選手がいるものだなと、あるがままの状態を素直に受け止めていた気がします。


今回の内容は、「UWF」とはどういうものだったのかを知りながら、同時に「UWF」を通じて「強さ」や「最強」について考えていくものです。



高田vsヒクソン戦


この、UWFや格闘技の変遷や系譜を見ていくうちに、おそらく、「高田延彦 VS. ヒクソン・グレイシー」の舞台となった「PRIDE.1」(1997年10月11日開催@東京ドーム)が、大きな「UWF」というものの活動(=プロモーション)なり、運動(=ムーブメント)なりのひとつの帰結・節目であったように思います。


その後は、また異なる局面というか、新しい時代への突入と言っても過言ではなく、それ以前とそれ以後では、江戸時代と明治時代の変わり目のような、随分と様相が変わっているものと見なした方が良さそうです。


1990年代初頭に、グレイシー一族が台頭し、ヒクソン・グレイシーの存在が目立ってきたのを称して"黒船"と表している場合もあり、そういう時代の節目であったこということを如実に示しているように思います。


そんな折、高田延彦さんが自身のYouTubeチャンネルで、23年前のヒクソン戦のVTRを観て感想を語るものがあって、自分の興味にちょうど合うタイミングでした。


【秘蔵テープ発見!】23年前「10.11」ヒクソン戦の真実を髙田が初めて語る!【前編】

【伝説の入場シーン】23年前「10.11」ヒクソン戦の真実を髙田が初めて語る!【中編】

【A級戦犯】23年前「10.11」ヒクソン戦の真実を髙田が初めて語る!【後編】

<参考>

「高田延彦vsヒクソン・グレイシー」〜1997.10.11 PRIDE1"最強"から"A級戦犯"へ/1970年生まれ 男のロマンBlog


これがどういうものであったのかと即座に評価を下すよりかは、実際のところはどうであったのかと、当時の事実関係を洗い出したり、想像力を駆使したりするのが良いように思います。


これは、「UWF」とはどういうものであったのかを考えるのにも有効であるように思いますし、そのような真率な態度が多く求められるような気もします。



UWFについて


新日本プロレスの創設者・アントニオ猪木選手の、対・異種格闘技路線の盛り上がりが先行してあったわけですが、一方では、長い時間をかけて、プロレスからUWF、そして、UWFから総合格闘技(MMA:Mixed Martial Arts)へと続く流れもあります。


こういった歴史的側面を把握しようとして、そもそものはじまりを辿っていくと、いわゆる「UWFスタイル」というものを実現させるために団体が旗揚げされたのではなく、あくまで結果としてそうなったというのが驚きの事実でした。


自分たちの目指す、崇高な信念や理想が先にあったのではなく、その時々の、各人の行動や思惑が複雑に重なり合いながらでき上がっているものであり、ある意味でははじめから不思議な成り立ちであり、独特で数奇な運命を辿っていたという見方もできるでしょう。


そのような、成り立ちからして不安定で危ういがゆえに、他に代えがたい稀有な魅力を発していたかもしれませんが、しかし、その不安定で危うい成り立ちがゆえに非常に脆く、内部崩壊や分裂騒ぎを何度も繰り返していったということです。


第一次もそうですし、第二次のあたりでは、前田日明さんが最も渦中にいる人物で、最も激しく翻弄されたひとりなのかもしれませんが、これも時代が要請したものかと思うと、何かしらの感想を軽々しく言うことはできなくなってきます。


もう一方では、初代タイガーマスク・佐山聡さんの「シューティング(のちの修斗)」の動きもあり、特に第一次の時にはお互いの主張が平行線をたどり、まるで一本の縄があざなうかのようにして時代が流れていったように思います。


このあたりの時代の背景を探っていくと、プロレスがどれだけプロレスらしいものであったかということもありますし、格闘技がいかに格闘技たらしめようとしていたのか、そういうリング上だけでなく、方々の議論においてもせめぎ合いが続いていたのが、この1980年代、1990年代であったのかもしれません。


選手同士において、また、経営陣・フロント陣との関係においても剣呑なことが多く、決して一枚岩ではなかったことがうかがえますし、興行として成り立たせるためには、観客の動員数のみならず、多くの人の理解や応援も得る必要があり、エンターテインメントしての側面も切り離しては考えられません。


当事者のみならず、その当時に関わった人の多さや関係の複雑さもあって、あれから20年、30年経って、ようやく今だから話せることもある、語れることもあるということなのでしょう。



ルールについて


競技の特性や特徴を考えるにあたって、傍目には、プロレスもボクシングもリングの上で戦うものですが、同じリングで戦うからといって、競技のやり方・ルールとして、まったく同じようには戦えないものです。


これは、試合をする場所や動きが似ているからといって、野球とソフトボールの選手を比べて、どちらが優秀であるというのは、なかなか決めにくいことのように似ています。


日本の野球とアメリカのベースボール(MLB)でも、わかる人にはわかる両者の差異があるようですから、同じようにして見るということの困難さを思わずにはいられません。


バスケットボールとバレーボールも、同じような人数で、背の高い人がコートにいるからといって、競技のやり方・ルールとして、だいぶ異なっていることを思えば、ここで言いたいことのほとんどが伝わるように思います。


プロレスは、あくまでプロフェッショナルなレスリングではあるけれども、その素養として有効なのは、柔道、レスリング、相撲、ラグビー、アメフトなどがあり、それぞれの競技の経験者が多く活躍しています。


また、空手、ボクシング、キックボクシング、ムエタイなど、打撃で競い合うこのあたりは、やがては「K-1」という檜舞台で、誰が立ち技の最強かを決めるということにつながっていきます。


総合格闘技では、立っての打撃、組んで投げ技、寝ての寝技だけでなく、倒れている相手への打撃、場合によっては顔面への打撃も加わり、絞め技や関節技だけではなく、同時にいくつもを対処していくだけの対応の難しさ、難易度の高さがあるように思います。


パッと見には似ているようでも、ルールや勝敗の決着について、細部では大きく異なるでしょうから、どのような共通の認識を持って競い合うのか、それに因るのかもしれません。


グレイシー一族が名を轟かせ、グレイシー柔術が席巻した当初、アルティメット大会(UFC:Ultimate Fighting Championship)は"何でもあり"としながらも、その戦略のひとつとしては、彼らにとって有利なルールを巧みに採用していたようです。


これは、他の試合形式、他の大会運営にも当てはまることで、細かいことを言えば、1ラウンドあたり何分の何ラウンド制にするのか、試合の時間は無制限か制限ありにするのか、寝ている相手への打撃はどうするとか、ダウンカウントを取るのかなど、対戦相手や試合によって変わり、それによって勝敗の行方も変わることも多いわけです。


足の速さを競うのに、100mにするのか1,500mにするのか、直線だけなのかカーブも含むのか、ハードル(障害物)を設けるかどうかでも、ペース配分を含む、試合への臨み方だけでなく、それまでのトレーニング方法や体づくりが変わってくるようなものです。


これを、ひとくちにどうであるというのも難しいものですが、寿司職人や焼き鳥屋が天ぷら勝負に挑むとか、クレープ屋やパンケーキ屋がどら焼き勝負をするみたいな、似ているけれど必ずしも同じではないというのが、特に初期には多くあったように思います。


語学の試験で、自分は英語が得意なのだとしても、試験場ではスペイン語で対応しなければいけない、そういう場違いなところに来てしまったという戸惑いを覚える選手も、時にはいたかもしれないということです。


ただ、やる側もそうですし、時に見ている側にとっての、「誰が最も強いのか、最強なのか」という一点に注目が集まれば集まるほどに、ひとつの競技=総合格闘技として見てしまう傾向が、このような混沌とした状況を助長させていたのかもしれません。



「強さ」について


こういうことを考えはじめると、強さは相対的なものなのか、絶対的なものなのか、どのようにすれば決められるものか、かえってわからなくなってきます。


勝負は時の運、運も実力のうちで、勝った/負けたの勝敗がつきますが、勝負に勝って試合に負ける、試合に勝って勝負に負けるようなこともあるので、これまたひとくくりにして言えることではない気がします。


生存的には、最後まで生き延びたものが強者かもしれず、誰かと比べれば能力的にひどく劣っているかもしれないけれど、人生的な長生きをすれば、その人は勝者なのかもしれません。


試合においても、相手を死に至らしめては、勝った/負けたどころの騒ぎではなく物騒なことになってしまうので、懸命にやるとは言いながら、命をやり取りする瀬戸際までは行ってはいけないのです。


プロレスの受け身や打たれ強さ、格闘技の攻撃の容赦なさなどを鑑みながら、筋肉がちぎれるまで、関節が衝撃に耐えられなくなるまでやるとして、そうまでして得たいものとは、目の前のひとつの勝利であり、究極の「強さ」であり、また、「最強」の称号であるのかもしれません。


それはまた、直接、精神や肉体にまつわるもの以上に、あるいは、生きる上での強さ、そういうものにつながっていくような気もします。


剣豪が強さを求め、斬り合いを繰り返すさまは『バガボンド』(井上雄彦/講談社)でも描かれている通りで、天下無双を目指す武蔵が、ひたすら目の前の相手を斬っていくことで、その理想に近づこうとしています。


しかし、斬れば斬るほどに、とめどない"戦いの螺旋"に巻き込まれていく一方で、はたして「無敵」とは、自分以外に誰も相手がいないほどに斬って斬りまくるしかないのかと苦悩してしまいます。


これを、解釈の上で「無敵」を理解しようとすると、その「無敵」とは、「敵がいない」のではなく「敵をつくらない」ことということが浮かんできます。


これはどういうことかというと、相手を斬るべき敵とみなしてしまえば、自分自身が最後のひとりになるまで、いかなる相手であろうと斬り続けなければいけません。


一方、あくまで対峙するのではなく、すべての相手をこちらの側に迎え入れようとしていけば、誰も斬ることなく全員が味方であるという考え方です。


ただ、こういうことを頭や身体、そして、深く本能的に知るためにも、やはり多くの相手との斬り合いの中に自身を投じないことには、決してわかり得ない境地であるように思います。


プロレスや格闘技においても、自分の持てる力を出し切って「強さ」を競い合う、または、相手を完膚なきまでに叩き潰すようにしなければ、相手との心理的な距離も決して縮まなないというところに、因果なものを感じます。



まとめ


結局のところ、「UWF」とは何だったのか?


同じ「UWF」にしても、第一次、第二次では「Universal Wrestling Federation(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション、)」の略称であり、分裂したうちのひとつ、UWFインターナショナルでは、「Union Of Professional Wrestling Force International(ユニオン・オブ・プロフェッショナル・レスリング・フォース・インターナショナル)」の略称となっています。


もちろん、第一次、第二次、分裂その後のそれぞれの団体ごと、または、時期ごとに実情は異なってくるわけで、自分たちが直接「UWF」を名乗っているかどうかに関わらず、ここでも、とてもひとくくりにしてどうであるとは言いがたいものです。


ひとつには、「強さ」を追い求める若者たちの、汗と涙の葛藤の日々とも見れるし、ひとつには、会社の経営や組織の運営などの仕方に注目しても良いかもしれません。


また、プロレスや他の格闘技とのせめぎ合いであるとか、日本国内だけでなく海外からの影響など、いくつもの観点から見ることができるように、いくつもの切り取り方ができます。


さらには、他の団体との関係、1980年代、1990年代という時代の雰囲気とも決して切り離せるものではなく、もしもこの時をリアルタイムで過ごしているのなら、個人の体験と重ねながら見てみることでわかることも多いかもしれません。


これまた先ほどの例のように、江戸時代から明治時代に移行する時期に、実際には、幕末の志士が大挙して時代を揺り動かしたように、今もって多くの人の興味や関心を引き寄せ、検証するに値する証言や資料が大量にあるという点において、そういうひとつの歴史を築いた「UWF」は偉大であったようにも思います。


いまだ選手として活躍していたり、まだ存命の人が多いことからも、決して過去の遺物にはなるはずもなく、それゆえに、これは今後のプロレス界や格闘技界の全体がどう発展していくのか、また、時代の"うねり"とともにどう歩んでいくのかによって、「UWF」というものの位置づけも変わってくるように思います。


目に見える、一連の活動(=プロモーション)なり、運動(=ムーブメント)なりを終えたからといって、「UWF」が完全に潰えたわけではなく、それぞれに思い描く「UWF」があったり、それを考え続けたりしているというのは、きっとそういうことなのでしょう。


同時に、「強さ」や「最強」について、私自身も、答えを探し求める日々がここからまたはじまるわけです。


それらは、富士山に登ったから一番であるというような、わかりやすい指標があるわけでもなく、何をもってそうであるかというのは、自分自身が何を信じているのかに通じていくように思います。


富士山に登ること自体も突き詰めれば、登り方の美学であるとか、登る回数を重ねないことにはわからない境地も、きっと多くあることでしょう。


海外に目を向ければエベレストがあるように、また、他の人はどう取り組んでいるかによって、自分の取り組み方がどう評価されるのかが変わるように、決して一定のものとはならないのです。


学べば学ぶほどに、自分のこれまで思っていたこと、考えていたことは何だったのかと、時に足元から揺らぐような思いもしますが、それゆれに、また今のここから立ち上がる何かがあると良いなと思います。


あるいは、「強くありたい」と願う気持ち、それは精神的なものでもあり、同時に肉体的なものでもあって、それがプロレスや格闘技に興味・関心が向わせる所以なのかもしれません。


昨日より今日、今日より明日という具合に、今よりもっと「強くありたい」と願う気持ち、それはまた、「優しくありたい」と思う気持ちと双璧をなすもので、いつか本当の「強さ」に行き着くのであれば、それがひとつのゴールとなるのでしょう。


今回繰り広げたような、「UWF」における「強さ」や「最強」に限らず、あなたなりの「強さ」や「最強」が一体どのようなものであるのか、どこかのタイミングで考え込んでみるのも良いかもしれません。


今はまた、なかなか容易くは歩めない日々かもしれませんが、そういう自分なりの一本貫くものがあれば、どこかで精神的、肉体的な支えになることと思います。


良きことの多く、これを読んでいるあなたひとりひとりに訪れることを祈念しながら、随分と長くなった今回の投稿のシメとしたいと思います!


<参考①>


『証言UWF 最後の真実』(宝島社)

『証言UWF 最終章 3派分裂後の真実』(宝島社)

『証言UWF 完全崩壊の真実』(宝島社)

<参考②>


平直行さんの自伝的一代記を通して、UWF、格闘技、グレイシー柔術などの勃興やその変遷を知ることができます。


『U.W.F外伝』平直行/双葉社

<参考③>


下記の一連、とても端的にまとまっていて、「UWF」を理解するのに大いに参考になります。


①佐山引退から第一次UWF:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

②新日プロUリターン<前編>:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

③新日プロUリターン<後編>:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

「UWF」とは何だったのか?~③新日プロUターン/後編

④新生UWF旗揚げ〜崩壊:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

⑤UWFインターナショナル編:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

⑥藤原組、バトラーツ、パンクラス編:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

⑦リングス編:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog

⑧最終回「UWFとは、何だったのか?」:「UWF」とは何だったのか?/1970年生まれ 男のロマンBlog



傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所#五星三心占い#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪

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