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これは今の実感でもあるし、今後しばらくの方針でもあること。
今を生きる、それがゆえに先行きのことももちろん考えるけれども、今を充実しないでそれがかなうというのか。
遠くを見渡すのも大切ですが、今の足元で起こっている歩の進め方を知るのも大切です。
とことん今の、目の前のことに集中するから、次の扉が開く、人生とはとかくそういうものかもしれません。
そういう意味では、新たな旅をはじめることも必要で、riceの「朗読」にあるように、今は持ち得ているものはほとんどないかもしれないけれど、それでも今あるものを手に携えていくことで良いのだなと思います。
生きていれば同じ歳の華月くん、今年の秋で19回忌を迎えたともなれば、いつをはじまりをするのかもあるでしょうが、思えば遠くへ来たものだなと思うものです。
人それぞれに思いの強さはあるし、人それぞれひとつの命を生きている。
人ひとりの命といえど、決して軽んずることなく、決して崇めるようなことでもなく、事実どうであるかというのはあるでしょう。
特に、自分の20歳~今に至るまでこの感覚を手放すということは、半ば自分を捨てるようなことにもなるもので、なかなか相容れないところはあるかもしれません。
宿命とか重い業を背負うようなことでなくて、自分のひとつの特徴なのだなということを感じます。
https://youtu.be/RSvW4S5OufM?t=470
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ここからは、どうにかこうにか今回の話を収束するように、チラホラとあることをひとところに集めて、自分のやりたいこと、立ち位置として、どう表したものかと思案している部分があります。
ひとつには、"トリックスター"ということで言えることは多いだろうと思います。
"トリックスター"は、神話や民間伝承において、一旦は混沌をもたらすかもしれないけれど、新しい秩序をもたらす者として描かれる存在です。
ある意味では、二項対立する間に立つ者で、「架橋」の発想からも述べることができるでしょう。
楽器でいうところのベースの立ち位置で、リズムのドラムと、メロディーのボーカル、ギター、キーボードなどの橋渡し、これも同じような発想や感覚になります。
身近なところに置き換えると、コンシェルジュ、バーのマスター、居酒屋の店主など、あちらとこちら、誰かと誰かをつなぐ役割を果たすことができるでしょう。
自分の中でも、過去と未来の橋渡しをすることにおいて、「架橋」するのが自分自身のお役目だろうと、今はかなり強く意識していきます。
これらをまとめて、「プロジェクト在原業平」ともなるわけですが、これは今回は特に広げはしないでおきます。
あるいは、これをもう少しわかりやすくするには、映画「天使にラブソングを・・・」の"1&2"が参考になります。
ウーピー・ゴールドバーグ扮する主人公のドロレスは、教会とも教会のある地域ともゆかりのなく、これが続編ではそれが学校であり、学生であるのですが、それも特に関連があるわけではない。
確かにひとりの"よそ者"であるかもしれないけれど、それでも必要とされるがまま"歌"を通して、教会や学園を立て直し、盛り立てもして、多くの人を良い方に導いています。
楽しい気分の時には物事が上手く進むという示唆においても有用な作品になるのですが、全然関係のないところから来た者によって、少し騒ぎを起こすかもしれない、しかし、それがあってそこにいる人たちが良い方向に向かっているわけです。
こういう、間を取り持つような人がいて、あちらとこちらを忙しなく行き来することによって、水と油も一体となるようなことになっています。
これが冒頭にもある、マヨネーズごはんのマヨネーズにも相通ずる発想かなと思います。
不思議なもので、その土地に住む者や前からそこにいる人たちだけではできないことで、ある意味"よそ者"をもって成り立つものです。
実際もそうですが、落語の題材(cf.「厩火事」)にもあるように、男女交際や婚姻における"仲人"もその役割を担っているとも言えるでしょう。
とかくそういう"よそ者"は、どこからともなくやって来て、どこへとも知れず立ち去って行く者、ある意味では、通り過ぎる存在とも言うことができます。
これが、自分のこととして考えてみると、あちらこちらと放浪の旅を続けていくことによって、方々に留まる人たちに良いものを差し出せることになります。
一説には、「移動の距離の多い人は、活躍の度合いも高い」という法則があるらしいので、どれだけ動き回るのかということも念頭に置いておくと良いかもしれません。
私自身の場合、単に「流浪+浪人」の"るろうに"のみにあらす、そこに"メタル"をつけて"めたるろうに"であろうというのは、ひとつの戯れ言でもあります。
活躍の度合いとお呼びがかかることの兼ね合いで言うと、このようにも言うことができるでしょう。
特定の場所や地域だけでなく、日本全国、世界各国を股にかけるということは、多くの人に必要とされているということでもあるので、それが信用なのか人気なのかで測れることのように思います。
こういうことを先に望むことはありませんが、あちらとこちらのどちらか一方ということではなく、"あるいは・・・"のalternativeをいつも提供していきたいものです。
今回にしても広がりと深みを意識しながら、どこか引き際が早いというのはそういう現れだと思います。
あれこれ述べてはいるものの、あまり追及して明言していないのは、自分はこう思う、こういう考えはいかがですかと散りばめていることになります。
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あーだこーだと好き放題言っているところもあるでしょうが、それでも意図をすくい取ってくれる人はいるはずですし、受け取らない人は目を通すことすらしないから、ある意味では安心してできるところもあります。
いずれにしても、時間の流れにあるように、多くの物事は次第に流れていくのでしょう、これが今のところの"ありったけ"ということになる気がします。
いつも思うのですが、"ありったけ"に臨み、その都度思いを全部出してみると、それがまた次への布石となっていることがあります。
呼吸の、息を吐ききってみることによって、新たな息がすぐさま入り込んでくるもので、「ひとつの終わりが、ひとつのはじまり」となってくるものです。
次の新たな扉がどこにあって、どう開くのかはわからないけれど、そこには自分の出会うべきものがあるということでしょう。
自分の、個人においては、引き続き「たずきの道」、「法悦の至り」、「本を出す」ことを三本の矢と携えていきたいと思います。
今年もまたいくらか日を残しつつも、ひとつのお役目・使命が終わるようなところもあって、新たな何かを待ち望む、そういう心躍る感覚が芽生えるものであるよう、一旦は今回を締めくくりたいと思います☆
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傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所*#五星三心占い*#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪
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