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次第に混迷を極めるような展開を迎えながら、それでも突き進む様子は、どのように例えることができるでしょう。
ある特定の言葉や単語で済ませることなく、また、直接そういう内容に言及することなく、浮き上がる図像やイメージがそれに近づくように、あくまで点描のように字句を重ねながら、続きをうながしていきたいと思います。
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普段誰と一緒にいるのか、あるいは、どんな人と出会うかによって、自分自身の生活や身の回りも変わってくるものです。
いつも励まし合って"高み"を目指すのか、山の麓でのんびり過ごすのか、これはまた自分がどうしたいかとも関わりつつも、誰とどう出会うかの問題でもあります。
自分がそうだから出会うのか、誰かとの出会いによってそうなるのか、どちらが先とも後とも言えないでしょうが、大きく見てみれば自分の望むように出会っているように思うものです。
最近はまた、なかなかヴェールを明かすようで明かさない"SOUL BROTHER NO.1"や得難きステキな友人たちに大いに触発されて、そういう意味では、私は私なりの「己の道」を見出だしていくべきだなと思っています。
それはまた、肩に力を入れて、歯を食いしばるようなことでもなくて、持ちつ持たれつ自分のやることをやり続けていくことで開けてくるもののように思います。
必ずしも気張ったら良いというわけではなく、長い道のりを歩み続けるようなことで見えてくることかもしれません。
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「あなたの差し出す眼差しは誰かのために、また、あなたの差し出す言葉は誰かのために。
すべては"贈り物(ギフト)"であり、自分への"贈り物(ギフト)"でもある。
そして、それは誰かのためであると同時に、あなた自身への"贈り物(ギフト)"でもあるのでしょう。
そういうことに気がつけるのか、天からの"授かりもの(ギフト)"を大切にしていきたい。」
少し洒落て言ってみれば、こういうことになります。
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とかく発想は浮かんでは消えていくようなものなので、いくつかを組み合わせてみるとか、時期によって何を採るのかの違いはあるでしょう。
そして、どのような時にでも大切にしていきたいのは、①"愉快に生きる"と決める、②笑顔を絶やさない、③"ありがとう"を言うことで、これらでもって楽しい気持ちを増幅するのが良いでしょう。
お金の使い方にしてもそうで、今回は細かくは言いませんが、お金の喜ぶお金の使い方を意識してみるのが良いでしょう。
人もお金も、情報や物事は巡るものなので、いかにグルグルと巡らせていくのか、そういう視点を持ってみると良いと思います。
また、何かを決断する時、ある程度予測が立つ方と、てんで予測ができない方を選ぶとすれば、最近は後者の方を選ぶようでありたいと思っています。
それは"刺激"に関わるような話にもなって、何となくうす曇りの日が続くより、カンカン照りの晴れの日とどしゃ降りの雨の日が交互にくるような、そんな日々を過ごしたいと思っている現れなのかもしれません。
たとえどんな状況になろうとも、どんなことが起ころうとも、何回か続いていくうちにパターンが見え隠れしてくるし、自分はそれでも足元不如意とならないように、わりと堅実な歩みを続けるだろうということが、性格や感覚において見通せるものです。
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これは、モテるからステキな人なのか、ステキだからモテるのかというような、"どちらが先か"問題に関わる話になります。
ギターが好きだから何時間ものプレイが苦にならないように、苦にならないから何時間でもギターをプレイできるということもあります。
あるいは、何かに懸命に打ち込むからコツがわかるのか、コツが多少なりともわかっているから懸命に打ち込むのか、コトの仔細はそれぞれにあることでしょう。
こういう発想を下敷きにしていくと、自分自身の振る舞い方と他者との関わり方との相関を覗き込むことができる気がします。
おそらく、誰もが好かれたい、褒められたいという気持ちはあるでしょう。
幼少期~では両親や親戚から言われていれば良いけれど、それがない、そして、大人になっても特にそういう機会がなければ、なかなか寂しいのではないでしょうか。
その後も、友人・知人・恋人など、大切な誰かから言われたいし、思われたい、そう思うのも良いけれど、もっとも手っ取り早いのは、自分自身で自分を好くとか、褒めるとかすれば良いわけです。
"セルフ応援システム"と呼ぶものなのかは、また別の機会に取り上げてみたいものですが、自分のことを抱きしめるというのは、これは思いのほか良い影響があるように思います。
そこから付随していくと、何かしらの習慣、より良い習慣を持って、それを続けることが大切になってきます。
はじめるも続けるもできない人が多い中、こういう試みだけで、自分自身において、結構自信がつくように思います。
強く思うのも大切ですが、行動から気持ちに作用させていく試みもあって良いかと思います。
自分を褒める、自分を抱きしめる、今日の今からできることになります。
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深く考えるのが好きで、抽象的思弁に傾く、これはなかなか良いところを突いているのではなかろうかということもままあるものです。
それでも、もっと具体的にするとか、もっと行動として取り組みやすいようなこと、そういうことを言う必要はあるのかもしれないと思うこともあります。
これも、それほどまでに難しい・わかりにくいのかとも思いますが、ひとつ例を挙げて述べてみたいです。
たとえば、サッカーの日本代表の試合を見て熱狂する人がいて、かたや、イングランド代表の試合を見ることを楽しんでいる人がいる。
応援するチームは異なろうとも、サッカーの試合を見ると楽しいよねということは相通じているものです。
これが、普段のリーグ戦なのか、ワールドカップの試合の場合もあるかもしれないし、ラグビーや野球のように、種目が変わってもスタジアムで見るのって楽しいよねとか、ボールゲームって面白いよねっということでは・・・(以下同文)。
人によってはボクシングや水泳、ゴルフなど他の種目になるかもしれないし、もっと移り変わって映画鑑賞や読書になるのかもしれません。
このあたりまでになると、何か好きなものがあって取り組むのって良いよねくらいの枠組みになるでしょう。
抽象的な度合いが増しているというのが、まさしく抽象的思弁なのであって、具体的なところから少しずつ推移していくものです。
こういうところをあえて言わずとも、想像を張り巡らして会話ができる人がいて、それも決して懸念して先読みをするようなことでなく、ごく自然にふるまえる、そういう人とは次第に仲良くなっていくものです。
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だいたい言いたいことの大半が出てきたところで次が最後のひとまとまり、登山でいうところのようやくの8合目、登り切って万歳三唱といきましょう(人によってはガッツポーズ)。
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【⑤に続く】→
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傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所*#五星三心占い*#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪
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