給付金をきっかけに、お金について考えてみる


今回は、クラウド会計ソフト「freee」が"ノート"とコラボして、「#給付金をきっかけに」をテーマにしたコンテストの開催にちなんだ内容。



こういう、身近ではあるがゆえに、改めて考えることも少ないような「お金について」、このコンテストをひとつの"奇貨"として、思いつくことのいくばかりかを書き綴ってみようと思います。



個人としては、日本のみならず、世界的にこういう状況になるとは思いもしなかった2020年の上半期、今や生物的な生存のみならず、経済的にも生き残りをかけていつも以上に必死にならざるを得ません。


今後どれくらいの期間が必要なのか、容易に元の通りとはならないでしょうし、きっと今までとは何かが異なるでしょうから、自ら異なるようにもしなくてはいけないということは言えそうです。


それはまた、お金について今一度考え直してみる、それが今のタイミングでできることのひとつであり、やるべきことのひとつであるように思います。


果たして多くの人がそうなのかは定かではありませんが、きっと少なくない人にとっては、お金というものは、できるだけ多く入って、できるだけ少なく出ていくのを望むかと思います。


あるいは、どのようにして入ってくるのかについて腐心するわりに、出ていく方には無頓着とか、逆に、出ていくことには神経質になりながら、入ってくる方には無関心であるとか、どちらかに偏っていることも多い気がします。



たとえば、今回のように"ひとりあたりに10万円の給付金"があるとしても、自分は何に使うのかとか、どのように使うのかを知っていないと、いつの間にか散財していたということにもなりかねません。


普段から、お金について「どのように考えているのか」が、ほとんどそのまま「どのように使うのか」に反映するようにも思うので、それを自覚しておくと良いのではないかというのが、繰り返し述べていきたい観点です。


もちろん、生活費のアテとして、家賃や食費など、生活のそれぞれにかかる経費として使うというのもあるでしょう。


「衣食足りて礼節を知る」とあるように、基本的な衣食住が満たされていないことには、何をどうしようにもはじまらない気がします。


それが、ひとまずはかなっているようであれば、自分は普段はどういうところにお金を費やしているのか、それを思い起こすことからはじめると良いのではないでしょうか?


自分の場合では、音楽CDやTシャツ(主に黒)、本に費やす割合が多くて、次いでライブのチケット代や交通費が多いのかなという気がします。


これは傾向としてわかりやすく、程度の加減はあれ、好きなものを手に入れる、好きなことに費やすという、「趣味」に自分の持つお金や時間を費やしていることが見て取れます。


以前は特にということですが、せっかく働いて手元に来たお金だもの、何に使おうが自分の勝手だとか、とにかく自分の満足を優先して使うのが良いだろうと思っていました。


気に入ったものや欲しいものを手に入れることを念頭に置き、金額や時期を見ながら順々に手に入れていくことで、どうにか自分の満足を満たすようにしていました。



それを突き詰めて考えるとか、または少し角度を変えて考えてみると、十二分に空腹が満たされるとか、着るものの枚数が増えていくと、どこかで限界という名の臨界点が訪れるものです。


本や音楽CDにしても、新しいものが何冊、何枚もあったところでチェックしきれないし、いずれは部屋の置き場所に困るようになるといった具合です。


大きく言えば、幸せになりたくてお金を稼いで、それを多く使うことが幸せになることだと思っていましたが、どうもそうではないということに思い至るようになっていました。


いち時期は、ほとんど肉体労働の仕事で1日に2日分働くようなこともしていて、次第に貯まるお金の額は大きくなるにしても、心はどこか満たされない、そういう時期がしばらく続いていました。


それゆえに、必ずしもお金の多寡が幸せの度合いではないと思い、随分と模索を続け、それは今もなお続いているようなところがあります。



では、率直に言って、どのようにお金を使うのが良いのか、少なくとも自分にとって納得するお金の使い方とはどういうものであるのか。


これについては、お金の使い方そのものを知るのみならず、その仕組みというか、流れや成り立ちを知っておくというのが良いように思います。


このあたりは、たとえによくあるような「釣った魚を渡すのではなく、釣り方を伝える」ことに似ています。


人それぞれに思う、"どうやってお金を使おうかと考えていること"を下敷きとして、それがかつ、他の誰かの喜びとか笑顔につながるようであれば良いのではないかというのが最たるものではないでしょうか。


ここ最近で言えば、飲食店や居酒屋の応援だとか、音楽のライブハウスやトレーニングジムだとか、いたるところでクラウドファンディングが行われていましたし、2020年6月現在、今まさに行なっているところもあります。



自分の満足を満たすためには、そういう場所や機会がないとかなわないことであって、直接何かを食べたり、その場に居合わせたりはできないけれど、いつかの代金として今払うというのが、自分にとって良いことがあるだけでなく、そこを切り盛りする人たちにとっても大いに助けとなるわけです。


言葉での懸命な応援も良いけれど、具体的にお金を払うというのが、より有効な応援であることも今回のような場合にはあるということです。


有り体に言えば、自分の"推し"や"ひいき"のために出すお金は、額面の多寡に限らず、あまり惜しんでどうこうするようなものではないとも言えるでしょう。


自分の場合では、先述の通り、音楽CDやTシャツ、本に費やす割合が多いということであれば、ミュージシャンやバンド、ファッションや出版に関わる人たちに貢献できているということが言えそうです。


また、時々は運動もするし、映画も観るから、スポーツや映画・映像に携わる人たちにも貢献できていると良いとなります。


人によっては、食べ歩きが好きだから飲食代ということもあるでしょうし、旅行好きであればそのための費用となれば、旅行・観光関係に従事する人たちのために何かができれば良いわけです。


球場で野球の試合を見ながらビールを飲むのが格別だ、あるいは、ボランティア先に寄付するのが最高だという人がいれば、そこに関わる人たちのためになることは、上記と同じような発想を持てば良いということになります。


こういうことをさらに押し広げてみながら、同じ職場や似た仕事で同じような額面の給料を得たとしても、人によってその用途は千差万別というようなことを、以前わりと真面目に考えたことがありますが、それは当然あって然るべしというものでしょう。


ただ、そこに自分の満足や欲望を満たすだけだけでなく、誰かのためであるのかが少しでも含まれているようであれば、それは大いに見習っていきたいなと思う次第です。


上手なお金の使い方をしている人は、やがてまたお金がまた巡ってくるようにも思うので、このあたりの"いいとこ取り"をしていきたいなと思います。



置かれている状況を鑑みると、個人的には今回の給付金は生活費のアテとするのが先にありますが、どこかのタイミングで少しまとまった金額を使う時には、自分の喜びや笑顔のためばかりでなく、同時に、誰かのそれらでもあるのか、それを念頭に置いて考えていきたいと思います。


まさしく「困った時はお互いさま」であるように、お金を出したり受け取ったり、お互いに"顔の見える関係"が、今後ますます大切になってくるようにも思います。


今回のような、思いもしなかったけれど起こり得るような状況に世界が突入し、何が正しい、何が正しくないという議論もあるかもしれません。


しかし、そういう状況があろうとなかろうと、自分の中にお金の使い方を持ち合わせておくことは必要で、きっと誰にとっても不可欠であるように思います。


今回の「#給付金をきっかけ」にして、ひとりひとりが真摯に向き合うことができたら、それはひとつの進歩、ひとつの良い方向への変化となるような気がします。


<2020年11月27日:追加>



傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所#五星三心占い#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪

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