習慣になるまで続ける


模索を続ける


今の時勢を見ていると、当然のことながら、人の多く集まるところや、声を多く出すようなところが、機会や場所としてほとんどありません。


個人的な気質として、音楽のライブや各種イベントの、そういう賑やかなのも楽しいし、時々は足を運びたいと思うけれど、一方で、物静かに過ごすのも好きなので、特に我慢をしているという感覚はないものです。


それでも、何にも規制されることなく、青空に向かってグーッと全身の伸びをするようなこともないと気分が晴れないことがあるように、そういうお祭り騒ぎの狂乱に身を投じるというのも、健全な心身のためには大切であるように思います。


私のように、根っからのパーティー・ピープルでなくてもそうなのだから、相当なお祭り好き/パーティー好きの人たちにとっては、長く我慢を強いられているというのがあるかもしれません。


また、最近は柔軟体操を工夫して、背中や肩の張りが次第にほぐれてきてもいるので、以前に比べると結構身軽な心持ちでいるというのはあります。


そういう工夫をしながら、今までとまったく同じようにはできないにしても、それでも熱狂できたり、夢中になれたりするようなことはあるのかと、思いを巡らせることもしています。


自分の思う理想的な熱狂や夢中はこれまで経てきたものを原体験として、たとえ目に見えるカタチは異なろうとも、内面では同じようなことを感じられているか、工夫とともにそういう機会や場所は得られるのか探っていこうということです。


模索していくことを楽しみとする、または、楽しみながら模索を続けていくということで、ひとつ、「New Wave Of My Own Heavy Metal(NWOMOHM)」なんて名前をつけながら、取り組んでいくのが良いのかと思う今日この頃です。



こういう、言葉を掲げることによって、どういう動きを取っていくのかが決まっていくこともあるので、スローガンとかキャッチコピーとか、それを何と呼ぶのかはいろいろあるでしょうが、自分を鼓舞する掛け声のように用いていくのが良いのかなと思います。


そういう言葉で自分自身を鼓舞するというのは、別のところでは心のどこかに焦りもあるのでしょうか、その表れのひとつなのかなと思うこともあります。


そういう、少し焦りににも似た気持ちを持っている時には、つい大掛かりなものや一発大逆転みたいなことを目指してしまいがちですが、一旦気持ちを落ち着けて「今、やるべきことができているか。目の前の人や物事を大切にできているか」、そういう視点を持つことも大切であるように思います。


いつ・どこにいても、自分の今いる、目の前のことにしか取りかかれないわけですから、そこをおろそかにして何ができようか、見当違いのあらぬ方向を向いてばかりいては何にもならないわけです。



東京、あるいは東京的なもの


それに近いところでは、長年、東京や東京的なものに憧れてはいましたが、果たしてそれはどうなのかという感覚もあります。


この場合は、距離的な遠さに加えて、心理的なものもあるかもしれませんが、これまでの10数年は、何か東京でつかめるものはないかと探っていたわけですが、大切なものは意外と近くにあるのではないかという思いを強くしています。


東京に行けば、または、東京に近いところにいれば、そういう遠くのものに憧れていたのなら余計に、どれほど近くにあっても手に取ることをせず、もっと遠くのものを手に入れようと躍起になっていたかもしれません。


それはつまり、東京に行ったから、東京に近づいたから得られるものではなく、それらが自分が移動したところの近くにあるから、何かしらを得ることもあっただろうということです。


もちろんそれは、他の場所ではできないことかもしれないけれど、一方で、どこの場所においても、自分にとって身近であるかどうかに左右されるものであるようにも思います。


まさしく「住めば都」と言うように、今では、今の自分のいる場所、または、多少の移動できる範囲において何ができるのか、そう考えていくことで見つかるものがありそうですし、ぜひ見つけていきたいと思っています。



陥穽を埋めるように


時勢的に、上手にやっているところとそうでないところがあって、良いところは取り入れるし、そうでないものに関しては、否定も打ち消しもせずに、「こうなると良いな」というように、考え方の向きを考えられると良いなと思います。


<参考>


また、大変、大変と言っては、そちらに引きずり込まれてしまうものですから、そういうものがあることは認めつつも、良いことの多くを見出していけると良いなと思います。


今だと、時間短縮営業、しばらく休業、閉店やテナント募集みたいな張り紙が多く目に入りがちですが、その数の多さを数えるとか、必要以上に嘆くことに意識や時間を費やすのではなく、たくましくやっている人たちとか新装開店、スタッフ募集みたいなところに目を向けるのが建設的ではないでしょうか。


そういう、考え方やとらえ方など、ものの見方に関連して、次のようなものがありました。



内田樹さんの、このツイートの続きを見ると、「コミュニケーション能力の低さ」がどういうところに起因するかがわかるのですが、自分自身が、やがて年齢を重ね、次第に年老いていく男性であるため、決して他人事ではありません。


加齢や性別については、基本的にはあらがえずそのままを受け入れていくしかないわけですが、その対策や予防ばかりではないけれど、意識的に「若い」とか「女性」、あるいは「若い、かつ、女性」と関わるようにしていかないと、余計に上記のような「おじさん」や「おじいさん」になっていってしまいます。


その良くはない方の「おじさん」や「おじいさん」にならないように、周囲の協力を得ながら、達成していきたいと思いますので、老若男女のうち、特に「若い」か「女性」か、あるいは「若い、かつ、女性」の方、お引き立てよろしくお願いいたします。




いくつか切り口を変えて、一挙に並べてみましたが、それぞれの取り組みを推し進めていくためには、何か特定の楽しいことを探し当てるというより、多くの時間を楽しい気分で過ごせるようにするのが良いように思います。


それが根底にしっかりあるようにして、また、それを確かな土台として築いていけるようにしていくのが、今のところの好ましいことかなと思っています!



傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所#五星三心占い#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*"1/fゆらぎ"の声を出したい♪

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