至高体験・仕上げ①


今回もだいぶ長い道のりを行こうとして、しかし、まずもって行くべき規定のコースからうんと離れるところからはじめていこうと思います。


なぜ最初から脱線をするのか、それはひとつのクセでもあり、同時にひとつのコツでもあるのかなという気がします。


とことん「天の邪鬼」なのがタマにキズとも思わないではありませんが、それはそれで構わないなと思っています。


お届けするこちらの側としては、目を通す人が、たとえ内容やトピックが四方八方に飛び散りながらも、どれくらい見届けてくれるのか、それを見極める意味合いがあります。


それはまた、雲散霧消するようなものでなく、あちらこちらと結びつけることで徐々に浮かび上がってくる、そういうものを期待してほしいという思いもあるものです。


それに付随していけば、私自身は「萌芽」、「馥郁」、「蟠踞」、「陋隘」みたいな言葉を平気で用いていきたいわけですが、たとえ個々の語句や表現の意味するところがわからなくても、それでも何とか内容をわかろうとする人に読んでもらいたい思いがあります。


手を尽くし、工夫を凝らしていくこともしかり、伝えたい思いが強ければ何かは伝わるだろうということに似ています。


自分の中でも、いつも思考や感覚が散り散りになっているので、実際にわかるかどうかは別段問うところではなくて、あくまで姿勢の問題としてどうなのかだけを明らかにしたいわけです。


わからずとも、せめて耳を傾けることはできるので、それをするかどうかはお任せする、それでもしかと聞き届けてもらえたら嬉しく思うものです。


それもあって、殊更に高い壁を築くわけではないけれど、道のど真ん中にフサフサの茂みをもたらして、通りづらいけれど通れるはずだ、これもまた道だというような感覚を持ってもらおうとしています。


また、仕掛けとしては細々といくつもあって、それもまたわかりづらいことになっていますが、最初から難解にとか、大上段に構えて繰り広げてしまっては、それはあまりに不親切だろうという感覚があります。


いささか後づけかもしれませんが、大いに脱線することは、それとはなしに"ほぐし"の意味もあるわけです。


そして、脱線に次ぐ脱線で恐縮ですが、最近この"ほぐし"に関して驚愕の知見を得たわけですが、当然ここで明かせるような話ではないので、ほのめかすままに留めておきます。


それにしても驚きました、言っている言葉は耳に届くのに、頭の中では「どういうこと?」となって、意味や光景を結ぶことができないのですから。


これがあれだとすると、それでそうなるのかっ!?となるほどに、人の想像力(および、人の可能性)は留まることを知らないということはお伝えしておこうと思います。


当然、具体的な内容は明かせるものではないので、ほのめかすままに留めておくわけです。



それはさておき、話を元に戻してみると、読む人に取っても、「何の話なんだ、これは」とどこか思いながらも、思わず首肯してしまうところが多いとか、時間を費やして読むに値する内容のようだとか、それを早めに吟味して見極めてほしいという思いもあります。


これが、もっと視覚的な図像やイメージに頼る人もいて、時に音声や会話なのかもしれませんが、あまり文章を読むのが肌に馴染まないなという人がいても、それはそれで構わないわけです。


たとえば、マヨネーズごはんのような、一見すると合わないような組み合わせでも、食べれば結構おいしいじゃないというようなことを、自分は文章や理屈において提示したいし、それなりに納得してもらえるようなことをモリモリとかなえていきたいなと思っています。


こういう仕掛けや工夫が必ずしも頑迷というわけでなく、あの手この手と尽くしているうちに何かしらは届く、それが微笑ましく思ってもらうのであれば、すでに望外の境地にいたるものです。


そして、自分なりの真ん中について考える時、あー、確かに長きに渡るもの(少なく見積もっても18年かそこら)があるということで、これはまた、後ほど詳述することかもしれません。



だいたい今回の内容にしても、この一年くらいにわたって投稿している向きと変わりはなく、その意味では随分と一貫しているものだなと思います。


語る切り口を変え、異なる例証を挙げるものの、根底にあるメッセージはあまり変わりません。


特に、そういう意図で書いているものが今年の2月のもので、この時点で盛り込んでいる内容が、今に続くようになっています。


だから今回のタイトルが、わかる人にはわかるであろう、伝わる人には伝わるであろう、前のものを受けているカタチになっています。


"終わりがないのが終わり"、つまりはそういうことなのです。


その時々で思ったリアルにもとづいていながらも、先の時間において生きている自分に向けてもいるので、その有効期限と言いますか、行き届くであろう論理の射程は広いだろうということがうかがえます。


少なくともそうであってほしいと思っていますし、人間存在の根底にまで行き着こうとしている内容なので、サラッと流れる一過性のもの・流行で終わるものでもなく、本質的な何かに触れていると良いなと思います。



年来、”より良く生きる"ことを是としていて、それがまた昨年の出来事・出会いによって新たな展開を見せています。


望む何かがあるから、やがて手元に寄ってくるという意味では、至極平仄や辻褄が合っているものだなと、内心で感慨深く思うものです。


その一方で、時間が経てば考えの詳細は変容していきますし、さらなる考察も進んでいくわけです。


それが今回の内容であり、この一年くらいを過ごしながら思って来たことの総決算、つまりは個人的な"ありったけ"となるわけです。



特に最近のことで言えば、自分がどれだけ把握して実践できているかは別として、呼吸が大切なところまではわかってきました。


次なる段階としては、その大切さの実態をとらえることであり、なぜそれが大切なのかを解き明かしていくことだなと思っています。


これがまたどうなるのかは、自分でもわからないところなので、今後突如として表すということもあることでしょう。


"今のところ"という申し開きをしておきつつ、いくらかまとまったものにしようとして展開していこうと思います。


これは、自分の立ち位置にも関わってくるのですが、「架橋」ということを切り口にしてできる話があります。


呼吸がなぜ「架橋」という話につながっていくのか、そのためには呼吸ってどういうこと?というのを、先に少し詳らかにしていきたいと思います。



いつも息を吸って吐いてとやっていて、吸う時は酸素、吐く時には二酸化炭素だといった話はよく耳にするところでしょう。


呼吸自体は、何も考えなくてもしているものですが、一方で意識してもできることで、ある程度は調節できることでもあります。


これが、心臓の鼓動を司る筋肉を、たまには意識して動かすぞーというようなことでは、意識が途切れ、うっかり動かすのを忘れてしまったらかなり大変です。


ノドをつまらしてある刹那呼吸ができなくなるのとは深刻さが大きく異なるので、何はどうあれ動くようになっているものです。


他の器官や機能にしても、どれだけ意識して動かすことができるのか、自分のカラダであるにも関わらず、特に内臓はあまり関与できるところではないものです。


別の例では、カラダの内側で、水道の蛇口をひねるようにして、ちょっと多めに胃酸を出そうかしらとはいかないわけです。


呼吸自体、吸って吐いてとカラダの動きではありますが、深く行えば心を落ち着かせることもできるし、緊張を強いられればどうしても浅くなりがちで、その時はカラダも強張ってしまいます。


ここでは、自分自身の意識によって、心とカラダとつなぐことができると考えることができます。


呼吸を経由することによって、カラダの調節できないところに働きかける、ドアを開け閉めはできないけれどノックくらいはできるような気がします。



また、何を思い、何を考えているのか、思考や感情において意識しているところに働きかけることもできますが、同時に、その大半を占める潜在意識・無意識の領域にまで働きかけることができます。


こういう、目には見えない、しかし、大きな力を持っているところを決しておろそかにしてはいけないものです。


そして、自分自身が"今、ここ"にいる、今まさに生きていることを知るには、呼吸に意識を傾けて行うのが、最も簡単で効果的な方法ではないでしょうか。


普段、このようなことを言う人を見知ることはあまりないので、自分自身においては、せめて小声で囁くようにしても何度でも言っていこうかと思っています。


そういう、あちらとこちら、あれとこれと結びつけて考えていく発想が持てるようになると、どこかで、あなたと私、自分と他者、自分と社会というものを結びつけることもできるのではないかと思うものです。


これが、だいぶ簡略化していますが、呼吸を通じて見えてくる、自分なりの「架橋」につながる発想になります。


たとえば、深呼吸がより深いものであれば、自分自身や周りの物事がより良いことになるのではないでしょうか。


"底知れぬ魅力"とか"奥深さ"について思う時、それは腹の底まで息を吸えているのか、カラダにおける深さでもあるし、意識(~無意識)の深さとの関わりであるかもしれないのです。



に続く】→




傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所#五星三心占い#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪

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傍島 康始(そばじまやすし)

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