物事をどのように切り取って見るのか、それによって自分のとらえ方が変わるだけでなく、物事そのものの移り変わりや変化もあるように思います。
身近で言えば生活、壮大に言えば人生、どちらとも英語では「life:ライフ」という単語で表しますし、そこには"生命"の意味も含まれています。
日々をどのように過ごすにしても、快活であることを望む人が多いと思いますが、「いやいや、人生はそんなにうまくはいかないものだ」と言う人もいます。
一度の人生、願わくば最高のものであってほしいし、それが誰かにとっての真理であるだけでなく、自分自身においてもそうであってほしい、それを願うのはかなわないことなのでしょうか。
このあたりのあれこれを、「運が良い」という切り口とからめながら、しばらく考えを展開していきたいと思います。
極論してしまえば「生きているだけで丸儲け」、呼吸をして、飲み食いができている時点で、かなり幸運な方だとは思うのですが、もっとお金が欲しい、もっと服が欲しいというようなことを思ってしまいがちです。
また、「人生楽ありゃ苦もあるさ」式に考えて、山あり谷あり、嬉しいこともあれば厳しいこともあって、総じてそれが人生というものだ、すべてがうまくいくことはないと思い込んでしまう向きもあることでしょう。
そのようにして、「人生にはペーソス(pathos:悲哀、哀愁)がつきものだ」というように考えていると、先にそういうものを見ようとしてしまうあまり、ささやかな幸せを感じづらくなっているとか、みすみす見逃していることもあるということです。
それをもって、「自分はツイていない」と断定してしまえば、自分がいかにツイていないのか、その都度嘆息せざるを得ないでしょうし、やがては、そのツイてなさ具合を積極的に証明することに必死になっていくかもしれません。
この場合では、"ツイていない"と思えば思うほどに、そういう行動を取ってしまう、それがゆえにその"ツイていない"状況が助長されるということになっています。
それを裏返してみれば、あなたを取り巻く世界は文字通り一変する、そういうことを気楽に想像してみてはいかがでしょうか?
つまり、"ツイていない、ツイていない"と嘆くよりも、いいね!、いいね!、いいね!が連続して続いてしまうような、「こんなに運が良くて大丈夫かしら?」となるくらいの"ツイている"度合いを、"いつもの、通常通りことよね"と思うくらいで良いかもしれません。
以前、そういう「運が良い」ということの一端を感じる機会があって、考えを深めで確信を得るだけでなく、感覚的にも得ることがあって、私自身、あとはひたすら実践あるのみだなという段階にいます。
たとえば、勉強やスポーツ、仕事かの何かで一番を目指す場合、歯をくいしばって、しゃかりきになって、力のある限り踏ん張るみたいなことをして、何らかの成果なり達成なりをするのが、王道であると思い至ることが多いと思います。
ある人が、歌手としてCDデビューしたいと考えているとすれば、オーディションを受ける、デモテープを送る、YouTubeやTwitterなどにこまめに投稿する、路上で歌うなど、そういう積み重ねをするべきだというわけです。
もちろん、確かな人気や実力を備えるためにそういうことは欠かせないでしょうし、時には、継続して涙ぐましい努力もしなくてはならないでしょう。
ただ、かけた時間や労力が多いほどに、チャンスが訪れる保証はなく、必ずしも一致しないというのが残酷なところで、それでもって「自分は歌手に向いていない」と思ってしまうとか、生活するために他で仕事をしなくてはいけないとなってしまいます。
こういうことを、別の角度で考えてみれば、歌が上手であることに越したことはないけれど、上手であるほどにCDデビューが近づくかというと、そういうことばかりではない気がします。
そういう発想を丸ごとまるっと変えてみて、久しぶりに連絡した友人と話していたら、その人の知り合いがレコード会社に勤めているとか、パーティーやイベントなど、人の多く集まるところに行ってみたらどこかの事務所からスカウトされたとか、そういう自分の努力だけでは届かないチャンスもあるということです。
身近な例で言えば、何か悩み事があって、引っ越しをしたいとか、転職をしたいとか、友人に相談してみたらあっさり解決したようなことです。
それは悩み事ばかりではなく、美味しいケーキを食べたいとか、お得なクーポンがあると良いなというようなことも、自分で調べるだけでなく、身近な人に聞いてみたら有用な情報が手に入ったということでも同様でしょう。
このあたりは、うちわや巨大な扇風機を持ち出して追い風を吹かすのは大変だけれども、追い風が吹いている場所に行けば、あとは身を任せるばかりということに似ています。
こういうことを感覚的にとらえるのであれば、東京タワーに登るのに、自力で階段を登って上の展望台にまで行く、それも良いけれど、エレベーターでスーッと行けば、ひとっ飛びで行ってしまうような感じではないでしょうか。
そのためには、階段を登る脚力を鍛えるということだけに留まらず、エレベーターの有無を確認したり、その乗り場を見つけたりすることに発想を及ぼすということが大切です。
時に、富士山に登る醍醐味は、あくまで自力で登ることで、ヘリコプターで一気に頂上に行くのでは感動が薄れるということも言われますが、これもどうとらえるのか、個人それぞれの物事の切り取り方次第ではないかと思うものです。
あるいは、お神輿にかつがれてワッショイ、ワッショイ楽しんでいるうちに、目的地に着いてしまうようなことであれば、かついでくれる人をいかに見つけて、いかに仲良くなるのか、そういうことに思考や行動を費やすのが良いということになってきます。
このように考えていくと、運の向きは風向きにも似ていて、それを自分でコントロールするというよりかは、いかに読み取るのかということであり、あとは個人それぞれの状況を踏まえながら、より具体的に考えてみるのが良さそうです。
また、そういう思考や行動の向きを変えるということの前に、前提の前提として、自分で何をどう思うのかが肝心なところではないでしょうか。
背中を後押しするするような追い風が好ましいと思うけれども、飛行機が空を飛ぶためには正面から来る向かい風がないと浮かぶこともない、そういう押し引きのバランスを取るのが良いように思います。
追い風も、向かい風も、風があるだけで運が良い、そう思えるかどうかが、あなたの日々を変えていくひとつのコツであるように思います。
何事も大仰に構えることなく、どんな状況でも、「人生は最高だ」と声高に言える気持ちがあること自体、これからうんと良くなっていくでしょうし、今の今においても十分良いということなんだろうなと思います。
「私、運が良いのよ」なんてサラリと言える、そういうことからはじめていくのが良いなと思う今日この頃です。
<2020年7月16日:追加>
<2021年2月17日:追加>
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傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所*#五星三心占い*#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪
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