夫婦(めおと)となるもの、同じ姓、名字を名乗るかどうか、名乗るとしたらどちらの姓、名字にするのか、現行民法の内容や改正が云々という問題もあり、現実的に制度上の運用をどうするかの障壁もあります。
軽く調べてみれば、今のようになっているのは1898(明治31)年の明治民法からなので、今年で122年ほど続いていることになります。
それ以前では別姓でも構わなかったらしいし、そもそも誰もが名字を名乗るようになったのも江戸時代〜明治時代に移行するあたりがメインでしょうから、100数十年かそこらの問題が、今もって噴出しているということでしょう。
されど、100数十年と言えども、社会の様子や人々の考え、世界全体が激しく変化しているわけで、それ相応に改良したり、改善したりすることは必要なのかもしれません。
個人においても、いろいろ思うところはあるでしょうから、全体で何かしら統一した見解を持つというのもなかなかないように思います。
今回は、専門的だとか法学的にとか、そんな難しいことは言わないで、姓や名字に関しての個人的な見解。
まず、"どちらの姓を名乗るのかどうか"を、あくまで個人的な問題として焦点を当てて、何が問題を複雑にしているかを紐解いてみると、次のようになるのではないでしょうか。
①好きかどうか、感情の問題、②結婚するかどうか、制度の問題、それに加えて、③名乗る姓について、自分の考え方と相手に求めるもの、それがお互いにどうであるかの組み合わせにあるように思います。
問題を突き詰めていくと、LGBTQにも関わってきて、しっかりと言及すべきだとは思いますが、ここではヘテロの男女ということで考えていきたいと思います。
このあたりは、個人的には特に偏見はなく、誰かを自分のことかそれ以上に大切に思えるのは素晴らしいことなので、それはそれで良いのではないかと思っています。
あとに続く内容にも関わってきますが、私自身は自分自身にしか興味がないというか、リアルな誰かのことにそこまで執心することがほとんどないので、それはまた別種の、何か異なる問題を抱えているのかもしれません。
なので、だいたい「ま、いいんじゃないですか、人それぞれで」という鷹揚な構えでいるくらいが、必要以上に干渉しないで平和的で良いなと思います。
時に、開けてはいけない箱や扉を開けてしまいそうでもあるので、せめて私のことはそれとして、そっとしておいてもらえると幸いです。
先ほどの①〜③について取り上げながら、③が問題を深刻にしているように思うので、そこから考えていくのが良いのかなと思います。
男性の側、女性の側、それぞれに思うところがあって、かつ、相手に求めるものがあるということで、私は男性なので、まずはそちらの側として何かしらを明らかにしていきましょう。
このあたりの答えは明確で、自分の名乗る姓、名字について特にこだわりはなく、相手の姓、名字になること自体、何の問題もありません。
言わば、相手の女性に何を求めるということもなく、むしろ、相手がどう思っているかに関わっているということになります。
相手が自分の姓、名字のままでいたいとなれば、私が変えるだけのことですし、相手が変えたいというのであれば、それに応じるだけです。
最も楽しいというか、最も理想的なのは、お互いに自分の姓、名字が何であるかに拘泥しておらず、一応話し合いをしてとか、ひとまず便宜的にどちらかの姓、名字に変えておきますかという態度であるように思います。
ただ、結婚やそれに伴う名乗る姓、名字の変更は、人生における大きい転機のひとつでもあるでしょうから、建前として何かしらの勝負をして、それ相応の決着をつけるべきなのかもしれません。
たとえば、相撲で3本勝負とか、マラソン競走で勝負するというのは良いように思います。
ここで必要なのはあくまでユーモアであって、相手を蹴落とすような非道さはいらないという気がします。
それ自体、ひとつの話題とすることができるのだから、波風を立てる方に意識を向けない方が良いかもしれません。
そもそもの問題として、誰かのことを好きになるとか、結婚したいとまで思えるかどうかなどの、感情の動きの方が大切なのではないでしょうか。
個人的には、そこまで至るような相手が滅多にいない、だから独り身でいるということがあって、こういう考えに至っているということも言えないわけではありません。
決して悲観はしていないし、これから出会えば良いだけなのですが、考え方自体の傾向として、今の状況が関係していることは否めないというわけです。
私個人においては、好きかどうか、結婚したいかどうか、お互いにそう思える相手がいること自体がまさしく「僥倖」というものですから、姓、名字を変えること自体、まったくの些事でしかないなと思います。
いろいろ考えるにつれて、今回の件においても他のことにおいても"気が合う"ことに勝るものはあるのか、そういうことも思うものです。
こういうことから捗る発想があって、たとえば「横山」となれば、"怒るでしかし"の「横山やすし」さんと同じになりますが、Ken Yokoyama、Hi-STANDARDの「横山健」さんと同じ名字になるのは嬉しい。
他の名字にしても、同じようなことはあるでしょうから、知り合う女性ごと、その人の名字と自分の名前と組み合わせてしまいそうです。
捗る発想に耽るあまり、思わずニヤリとしてしまえば、そこでチャンスがあるのかどうか、時には怪訝に思われて、急に窮地に立たされることもあるかもしれません。
あとは、多くの女性と知り合いながら、姓、名字についてどのように思っているのかを、リアルな場でさりげなく聞き取っていくのが良いように思います。
自分自身も、今の考え方を明らかにすれば他の人にもわかりやすいように、なるほどそういうものかと、今を生きる女性のひとりひとりはどうであるかを知りたいものです。
男性は…、ここまで開明的な感じの人がいるのかわかりませんが、それとなくであっても聞き取りをしていくのは良いかもしれません。
あまり乗り気ではない、あくまで女性に聞き取りをしていきたいというのは、私のせめてものスケベ心の発露というものでしょうか、正直わかりません。
いろいろ考えていくに、実際に結婚するかどうかの場面で初めて話し合いの俎上に出すというよりかは、普段の何気ない会話でも出ているし、好きかどうかに関わらず話し合える雰囲気があるのが良いのかもしれません。
そういう雰囲気をあらかじめ醸成できているかどうか、それが問題を軽やかに解決に向かわせるか、やたら深刻になってしまうかの分かれ道をつくるのだとも言えるでしょう。
法律を変えることも解決の手立てのひとつではあるけれども、もっと個人的な知恵を駆使して、あくまでユーモアを持ち込んで、あくまで軽やかに立ち向かえるのが良いなと思います。
個人的には、知識や経験を駆動してより豊かな知恵とするし、それを上手に取り込みながら相手とも親密に協力できれば、お互いに幸せ(ハッピー)になっていくはずです。
<2020年11月21日:追加>
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傍島康始(そばじまやすし)/次の"高み"へ@千葉:展示会・イベント関係従事、飲食店勤務などを経て、新しい働き方&仕事の仕方を模索中*#西野亮廣エンタメ研究所*#五星三心占い*#銀の羅針盤*ロック、メタル音楽が好き*親子丼食べたい♪
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